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平成13年(ワ)第2870号、平成14年(ワ)第385号損害磨償請求事件
原  告  ○ ○ ○ ○外62名
被  告  小  泉  純一郎 外1名


                     準備書面(原告ら第3回)

        
                                       2003年1月10日
千葉地方裁判所
  民事第5部合議B係  御 中

                               原告ら訴訟代理人弁護士  ○  ○  ○  ○
                                     同           ○  ○  ○  ○
                                     同           ○  ○  ○  ○
                                     同           ○  ○  ○  ○
                                     同           ○  ○  ○  ○
                                     同           ○  ○  ○  ○
                                     同           ○  ○  ○  ○
                                     同           ○  ○  ○  ○
                                     同           ○  ○  ○  ○
                                     同           ○  ○  ○  ○
                                     同           ○  ○  ○  ○
                                                         外10名
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第1 国家賠償法と個人責任について
   被告小泉は、2002年9月12日付け第2準備書面において、最高裁昭和53年10月20日第二小法廷判
  決を引用して、「公権力の行使に当たる公務員の職務行為について、公務員個人は賠償責任を負わ
  ないものとされているから、これにより、原告らの小泉に対する各請求は主張自体失当」と主張する。

    しかしながら、公務員個人の賠償責任を否定する理由は、個人責任を問われる事による行政の
  遅延防止、公務員の職務遂行の萎縮防止にあり、本件の靖国神社参拝行為のように、政教分離原
  則という日本国憲法の基本原則に違反するような憲法違反行為にまでかかる趣旨が及ぶものでは
  ない。少なくとも、公務員の憲法違反行為のように何ら公務としての特段の保護を必要としな
  いほど違法性が明白な場合には、当該公務員個人も直接の賠償責任を負うと解すべきである。
  以下、その理由を述べる。

  1 昭和53年10月20日最高裁判例の射程範囲

    公務員がその職務行為を行うについて違法性が認められ、国または公共団体が国家賠償法(以
   下「国賠法」という。)により責任を負うとされる場合、当該公務員個人に対し不法行為責任を追及
   することができるか否かについて、国賠法には明確な規定はなく、合理的な解釈に委ねられてき
   た。

     この点について、被告小泉の引用する最高裁判決は「・・・公務員が、その職務を行うについて
    、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の
    責に任ずるのであって、公務員個人はその責を負わない」と判示している。しかし、上記判例は、
    公務員に違法行為はなかったとして、国に対する国賠法上の責任を否定した上で、傍論として、
    公務員の個人責任について言及するものにすぎないのであって、国に国賠法上の責任が認めら
    れる場合に、同時に公務員個人にも責任を追及できるか否かについて、真正面から判断を加え
    たものではない。また、以下に述べるように近時の裁判例でも公務員の個人責任を肯定したもの
    があり(東京地裁平成6年9月6
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   日判例時報1504号40頁)、公務員の個人責任を否定する立場は判例上確定的なものではない。


 2 国賠法の文理解釈

    国賠法1条に基づく国や地方公共団体の賠償責任は、「国家無問責」として従来認められなかっ
   た国又は地方公共団体の不法行為責任を新しく規定したところに意味があり、公務員個人に対す
   る賠償請求を規定していないことをもって公務員個人の責任までを否定したものと断定すべきでは
   ない。国陪法に基づく国や地方公共団体の陪償責任は、国や地方公共団体の自己責任であり、
   もともと公務員個人の責任とは無関係なものであって 国や地方公共団体が責任を負担するから
   といって、公務員の個人責任が排除されるべき根拠は存在しない。
   一般的にいっても、使用者責任の法理からしてみれば、使用監督すべき立場にある者が負う責任
   は、自らの監督責任を懈怠したことに根本があるのだから、直接手を下した公務員が自らの行為
   責任として負う責任とは別個のものであって、特に公務員個人の責任を規定するまでの必要がな
   かったからと解される。

 3 職務遂行の萎縮について

   公務員の個人責任を追及できるとすると、その職務行為を萎縮させるおそれがあるということが個
  人責任否定の根拠として主張されることがある。しかし、民法上、使用者及び被用者自身の被害者
  に対する直接責任を認めているがために、一般の企業において社員が萎縮して企業活動に影響が
  でているなどとの報告や主張に接したことはない。その上に、民間人に比して公務員が特別な扱いを
  受けてしかるべき理由もあるはずもない。

   東京地裁昭和46年10月11日判決は、「公務員個人の直接責任を認めると公務員の職務遂行を萎
  縮させてしまうというが、民法では機関個人又は被用者自身の被害者に対する直接責任を負うとさ
  れていることと対比すると、公務員の場合にそれと別異に解釈して取り扱うべきだとする合理的理由
  が見出しがたい」と判示し、札幌地裁昭和46年12月24日判決も、「少なくとも、右

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  違法行為が公務員の故意又は重大な過失によって行われた場合についてまで、右公務員が個人責
  任を免れると解するのは相当ではない。なぜなら、まず、もしかかる場合についてまで、加害公務員
  の個人責任を否定するとすれば、公務員は、公務員たるが故に、民事責任の面において、一般人に
  比し過当な保護を受けることになって著しく均衡を失する。」と判示するとおりである。

   さらに平成6年9月6日東京地裁判決も、公務員の個人責任は「公務としての特段の保護を何ら必
  要としないほど明白に違法な公務で、かつ、行為時に行為者自身がその違法性を認識していたよう
  な事案について」認められるとし、公務員の個人責任が認められるのは上記場合に限定されるので
  あるから、「損害賠償義務の発生を恐れるがゆえに公務員が公務の執行を躊躇するといったような
  弊害は何ら発生するおそれがないことは言うまでもなく、かえって、将来の違法な公務執行の抑制
  の見地からは望ましい効果が生じることさえ期待できるところである。」と判示しているのである。

   以上のように、公務員の違法行為(特に故意又は重過失に基づくもの)については、職務遂行を萎
  縮するおそれどころか、むしろ違法行為をしないように公務員を「萎縮」させるべきなのであるから、
  否定説の根拠は理由がない。

 4 国賠制度の今日的意味

  国賠法の性格については、従来から公法か私法かという議論があったが、現代では公か私かという
 区別だけではさしたる意味をもたないとされる。国陪法の位置づけについては、現代的な不法行為法
 の一種であることを認めつつも、さらに同時に、それが行政活動による被害者の救済という点に特殊
 性を認めたものであることから、これを行政法の一種としても位置づけるべきものと考えられている
 (室井力「現代行政法の原理」動草書房147貫)。そして、行政法が行政の民主的統制の法体系であ
 るということからすれば、国家賠償制度は、単なる経済的救済という機能のみでなく、さらに「公務の適
 正を担保する機能」または「行政に対する統制機能」という機能が含まれているものと解されるべ


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  きである。

   この国賠制度のもつ「公務の適正担保機能」「行政の統制機能」について、前掲の昭和46年10月1
  1日東京地判は、「加害公務員に対する責任追求は、公務員に対する国民の監督的作用にとって極
  めて有効な手段であり、本来国民全体の奉仕者であるべき公務員が故意或は重大な過失によって
  国民の権利を侵害する場合すら公務員個人に対する直接責任の追及を認めないのであれば、経済
  的充足だけでは満たされない国民の権利感情を著しく阻害する結果を招来するおそれがある」と判
  示する。

   更に、前掲昭和46年12月24日札幌地判も、「公務員による職務執行の適正は、同法第1条第2項
  による求償権の行使、その他国家機関内部における規律によって、一応これを担保することが可能
  であるが、それのみでは必ずしも十分とはいえず、右のような場合に被害者たる国民から直接その
  責任の追及を許すことが、右の観点から必要であると認められる」とし、「国家賠償ないし不法行為
  に基づく損害賠償制度の趣旨を、被害者の純経済的救済という点のみに止めることなく、これに公
  務執行の適正を担保する機能をも営むものとして理解することは必ずしも、右制度の趣旨を不当に
  拡大したものとはいえない」と判示している。

   そして、前述した平成6年9月6日東京地裁判決においても、上記のように公務員の個人責任を認
  めることが、かえって「将来の違法な公務執行の抑制」の見地からは望ましい効果が生じるとしてい
  る。

   以上の裁判例でも示されているように、国陪法の制度は公務執行の適正を担保する機能をも営む
  ものとされることからしても、国の責任と共に公務員個人の責任を追及できると解すべきなのである。


 5 まとめ

 (1) 本件は、通常の不法行為とは異なり、内閣総理大臣である被告小泉が、日本国憲法の規定する
   政教分離原則に違反して、靖国神社に参拝したという極め


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   て特殊な事案である。しかも、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝に関しては、これまでに幾
   つかの高裁判決において政教分離原則違反、もしくは、違反の疑いが強いと判示されているので
   ある。

    すなわち、岩手靖国訴訟についての1991年1月10日仙台高裁判決は、「天皇、内閣総理大臣の
   靖国神社公式参拝は、その目的が宗教的意義を持ち、その行為の態様からみて、国又はその機
   関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり、しかも、公的資格においてなさ
   れる右公式参拝がもたらす直接的、顕在的な影響及び将来予想される間接的、潜在的な動向を
   総合考慮すれば、右公式参拝における国と宗教法人靖国神社との宗教上のかかわり合いは、我
   が国の憲法の拠って立つ政教分離原則に照らし、相当とされる限度を超えるものと断定せざるをえ
   ない。」と判示している。

    また、1985年8月15日に行われた当時の中曽根首相の靖国神社公式参拝についての1992年7
   月30日大阪高裁判決は、「@靖国神社は、宗教法人法に基づき東京都知事の認証を受けて設立
   された宗教法人(宗教団体)であって、神道の教義を広め、そのための儀式・行事を行い、信者を
   教化育成することを目的とし、そのための社殿等の施設を有する宗教団体(神社)である。A従っ
   て、このような宗教施設を有する靖国神社の本殿や社殿において参拝する行為は、それが靖国神
   社の主宰するものではなく、かつ、戦没者の霊を慰めることを主目的とするものであっても、外形的
   ・客観的には、神社、神道とかかわりを持つ宗教的活動であるとの性格を否定できない。B我が国
   の衆議院法制局長等の政府機関は、かつて、内閣総理大臣やその他の国務大臣が国の機関(公
   人)として靖国神社に公式参拝することは、憲法20条3項所定の宗教的活動に該当し、政教分離の
   原則に抵触するとの見解をとり、政府も靖国懇報告が出されるまでは、公式参拝は達意ではないか
   との疑いを否定できないとする見解をとっていた。C本件公式参拝の行われた昭和60年当時は勿
   論のこと、現在においても、内閣総理大臣やその他の国務大臣が、国の機関として、宗教


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   団体である靖国神社に、公式に参拝することに対しては、強く反対する者があり、未だ、右公式参
   拝を是認する圧倒的多数の国人的合意は得られていない。
   D内閣総理大臣や国務大臣が、国の機関として、公式に、靖国神社に参拝した場合の我が国の内
   外に及ぼす影響は極めて大きい。E現に、被控訴人中曽根が、本件公式参拝を行ったことに対し、
   日本国内では抗議の声明等が多く寄せられ、外国からも、中国を始め、反発と疑念が表明された。
   F本件公式参拝は、1回限りのものとして行われたものではなく、将来も継続して靖国神社に公式
   参拝をすることを予定してなされたもので、単に儀礼的、習俗的なものとして行われたとは一概に言
   い難い。G以上の事実からすれば、当時におけるわが国の一般社会の状況下においては、本件公
   式参拝は憲法20条3項、89条に違反する疑いがある。」と判示し、同年2月28日福岡高裁判決も「宗
   教団体であることが明らかな靖国神社に対し、援助、助長、促進の効果をもたらすことなく、内閣総
   理大臣の公式参拝が制度的に継続して行われうるかは疑問」と判示しているのである。

 (2) 以上のように、内閣総理大臣の靖国神社公式参拝については、3つの高等裁判所において憲法
   違反ないしはその疑いがあると判示されているにもかかわらず、被告小泉は殊更にそれを無視し、
   かつ、国内外の強い反発にもかかわらず、靖国神社に参拝したのである。更に、本件靖国参拝に
   関して、本件訴訟を含めて全国5つの裁判所において違憲訴訟を提起されているにもかかわらず、
   被告小泉は、翌年4月21日の靖国神社の例大祭初日に、再び靖国神社に参拝するに至っている。
   その憲法規範に対する遵法精神の欠如は著しく、もはや公務としての保護は何ら必要としないほど
   その違法性、悪質性は明白である。かかる明白な違法行為に対しては、将来における違法行為の
   抑制の見地に鑑みても、被告小泉に対する直接請求ができるというべきである。

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